日本倫理思想史
「仁斎より徂徠へと発展して、古文辞学として世間の注目をあびた復古学は、シナ古代崇拝をその枢軸としている」というわけで、丸山の徂徠などとは違って、和辻にあって伊藤仁斎や荻生徂徠の評価は低い*1。国学は、こうした方法論が古典に向けられたものであり、その最終到達点が『古事記』ということになる。「かつて古義学や古文辞学は、宋学批判においておのれの立場を確立した。その方法が今や古義学、古文辞学を含めて儒学一般に向けられたのである」(57頁)。で、その限界もあわせて引きついでしまうことになる。
宣長の古学も、仏教儒教を払いすてることによって、我が国の神話の本来の姿を明らかにしたが、それとともに仏教や儒教の固有の価値、あるいはその日本文化に対する功績をことごとく否定し去り、その結果、おのれの神話の解明が歴史的研究として意義をもつのだという制限を忘れてしまったのである。古義学において聖人の教えが直ちに絶対の真理であったように、宣長においても、神話がそのまま批判を許さない神の道の表現であった」(82頁)。
このように、儒学や国学から幕府を是認しない思想が生まれてきたのにたいし、町人道徳、心学はといえば人倫の道を説くに至り、「士道と異なった特殊な町人道徳というごときものは、江戸時代においてはついには形成されるなかったのである」(140頁)と極めて低い評価を与えられることになる。だが、このあたりは、安丸史学がまさに評価の目を向けたところだ*2。
で、幕末の勤王論。外国の圧迫。
この情勢は日本人の国民的自覚を刺激した。外国の圧迫に対しては、日本は一つの国である。日本を一つの国と考えれば、その統一を表現するものは、将軍ではなくして天皇である。このことは、十七世紀の民間の儒学者たちによっってすでに考えられ、十八世紀の中ごろには、竹内式部や山県大弐におけるような、実践運動につながった勤王論として現れたのであるが、今や外国の圧迫を切実に感ずるに及んで、尊王攘夷論のかたちでほとばしり出るに至ったのである(142頁)。
で、藤田幽谷にはじまり、鎖国の条件下で攘夷論を唱えるところから、吉田松陰にいたり尊皇倒幕の立場が明示されることになる。しかし、言及されている人物は平田篤胤をのぞけば、漢学儒教をベースにしている人物ばかりだし、これだと町人農民はおいてけぼりという話しになる。それはともかく、ここで国民的自覚と言われるわけだから、それ以前と以後の意識上の違いは大きいと思うのだが、和辻はこの点にあまり重きをおいていないようだ。
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*1:ところが、一方で仁斎と和辻の類似性が指摘されている。