日本倫理思想史
というわけで、後半の始まりであるが、そもそも応仁の乱から天下統一にいたるまでの過程を「武士的社会の再建」と題していることにとてもつまづく(私には鎌倉幕府と江戸幕府を連続したものとして考えるのはとても難しい)。しかも、和辻自身、内藤湖南に言及し、「われわれは、支配者たる武士階級も、被支配者たる農民や町人も、ともに時代において作り換えられたのである、ということを忘れてはならない」(18頁)と述べているにもかかわらずである。しかも、伊勢信仰をだしにして
これは日本人の間に国民的統一の意識が強く、また民衆自身が国家の分裂を欲していなかったことの証拠である。諸大名の領国がいかに小独立国としての実質を具えていようとも、それはただ支持者たる武士階級だけのことであって、領民はそのような独立国民たることを欲せず、あくまでも日本国民たろうと欲していたのである(31頁)。
とまとめられ、このような国民的統一の意識を視野に入れて、日本の統一が目ざされたという筋書きで、信長や秀吉が朝臣扱いすらされている。つまり、もともとあった国民の天皇に対する尊崇意識を実現するかたちで天下統一が行われたというわけである。しかし、2巻では農民大衆にいたるまでの下克上が指摘され、一揆を論じるについては「村もまた一つの緊密な地縁団体であって、村の事件は、寄り合いの談合において、「多分」について決せられた」(254頁)とあった。
これが後の「日本」社会の原型となるわけだが、国民的統一意識というときは、こうした村落間にあったであろう利害等々とばして国民的統一が持ち出されてくる。しかも、そうした統一意識を体現する支配者が信長から秀吉に変わるにあたって、新しい時代の原動力をつぶしにかかるという筋立てである。ただし、一方で民衆が政治的に無力になる一方で、主従関係から解放されるという指摘もある(59頁)。
アナクロニズムにはなるし、私のこのあたりの知識は拙いものであるが、「刀狩り」や「検地」を武士による「百姓」支配の強化とする話はいまとなっては古い知識に依存したものであるし、それ以前に秀吉の「朝鮮征伐」にかんする記述が完全に抜け落ちている。そして、秀吉の「朝鮮征伐」の発想は、信長のなかにあったものではなかったろうか。たしか、フロイスか誰かの書簡にそうした記述があったはずだ。つまり、織豊政権がめざしたものは明らかに国民的統一の枠組みを超えて考えているし、当の農民たちは領主とより契約的な意識にもとづいて関係を結んでいたと考える方が実際に近いと思う。
ところが、和辻はさらに最終的には家康に鎌倉時代以来の伝統の復帰を読み込む。三河の一向一揆も主従関係を破れなかったと(64頁)。儒教を導入しても、それはシナ古代の封建制と結びついていると。この辺、牽強付会な感じもするのだが。
というわけで、和辻においては国民的統一というのはどこまでいっても所与なんだな。そういえば、2巻でも謡曲や『太平記』がその傍証として引かれていたな。ちなみに、北条早雲の出自はいまでははっきりと特定されております。
- 作者: 和辻哲郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/08/19
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