日本倫理思想史

 立ち入った歴史叙述としてはおそらく様々な異論がでるであろうし、これが「倫理」思想史であるということについても立ち入った議論が可能になるであろう。なぜ、和辻はこんな通史を戦後になって書いたのか?しかし、それはともかく詠んでいて面白い。ただ、他の倫理思想史とつきあわせてみる必要はあるな。

神代史は天皇尊崇の自覚形態なのであって、逆に神代史により天皇の尊貴性が樹立されたのではない。また天皇の神聖な権威は、大八島国の統一を導き、従って民族的全体性の自覚を生み出した力であって、逆に国土の統一の結果として生じたものではない。してみれば、天皇の神聖な権威が先であって神代史はあとなのである。従って神代史が神話であって歴史でないということを認めても、古墳時代天皇が神聖な権威を持っていたという事実は、少しも否定されない(119頁)。

 それが

天皇の神聖な権威は漸次政治的な権力として自覚せれら、祭事的な組織は漸次政治的組織に転化する。そういう運動が漸次高まった行って、ついに大化の改新より律令制定に至るまでの時期が、この時代の絶頂として現れてくるのである(145頁)。

でも、これが「人倫的国家」の理想とか、「大宅」とは明らかにニュアンスの違った「公」の概念とか記述に使われる概念に違和感を覚えるものも多いな。
 二巻になると、摂関政治院政もわきにおいて、「初期武家時代における倫理思想」になっちゃんだよな。

日本倫理思想史(二) (岩波文庫)

日本倫理思想史(二) (岩波文庫)