あ、次はこれなのか。これも、異論はおくとして、緒論は面白い。倫理と倫理思想と倫理学の区別はよいとして、和辻は日本の倫理思想の展開の特殊性として次のように述べる。「ヨーロッパの学者は、文化上の祖先を祖先として取り扱い、民族的の祖先をさほど問題としなかった」。だから、ギリシア・ローマまで遡ると。もっとも、今から考えれば、そのギリシア・ローマ、とりわけギリシアのかなりはイスラム経由であり、ここに文化史上の連続性のねつ造をみることは容易であると思うのだが、ここではこの話はおく。
しかるに日本では、過去十幾世紀にわたって仏教の地盤の上で生活しながら、インドをおのれの文化的祖先と感ぜず、過去十数世紀にわたってシナ文化をおのれの血肉としながら、そのシナ文化を外来文化と感ずる、という事態が起こっているのである。---。「仏教を外来的なものとして意識させるに至ったのは、江戸時最初期以来の儒教者の排仏運動であろう」。「儒教を外来的なものとして意識させるに至ったのも、江戸時代中期以来の国学者の排外運動であろう。従ってインド文化やシナ文化を「外来文化」として強く意識させ始めたのは、鎖国時代の現象だと言ってよいのである(25頁)
インド文化やシナ文化に対して、外来文化という意識を保持しているからといって、過去における日本人がインド文化やシナ文化を疎外したとか、充全におのれのものとしなかったかとということは決してない(26頁)。
私にはことの詳細をあれこれする資格はないし、連続性を意識しすることがすスタンダードなのかも議論の余地はあると思うが、この指摘そのものは卓見だと思う。ついでに、同じようなことは明治以降についてだって言えよう。
よく分からないのは、和辻がここから「日本における倫理思想の歴史を、日本民族の歴史的な生そのもののなかから掘り出して来ようとする。このこと自体がすでに日本文化の一つの特徴にほかならないであろう」(26-7頁)として、自らの日本倫理思想の叙述もこの「特異な問題設定」の系譜に位置づけてしまうことである。他方で、それを「鎖国」以降の問題とし、自ら「鎖国」を悲劇として論じながらである。
そして、「日本民族が、原始時代以来一つの連続した歴史を形成し、そうしてその原始時代以来の伝統をなおおのれのうちの保持している、ということである」(36頁)と言われることになる。しかし、これは自らも十全に根拠を与えることができていない空虚な言明といってよいだろう。
もっとも、そこから、学問的にたどりうるもっとも古い時代の国民的統一の成立が、そのまま明治維新と敗戦後の区別もつけられることなく「近代」日本に重ねられてしまうことになる。また、武家執権が挿話的な時期であり、明治国家の組織過程でも封建的な武士の君臣意識がわざわいを残したということになる(43頁)。
だが、内藤湖南を引くまでもなく、鎌倉期とわけても応仁の乱以降は、同じ武家支配といっても一線を引かれるべきだし、しばしば和辻が議論のよりどころとする「家」の成立過程も戦国時代に由来し、それが江戸期、明治期に完成、ひいては解体の始まりを向かえていく。
私にはこれはかなりのアクロバットに見える。そうすると、和辻は二つの異なる源泉から自らの倫理学を作りだしているという言い方が可能になるのかも知れない。
- 作者: 和辻哲郎
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