人間の間と倫理

 この本の存在を比較的最近まで知らなかったのは不覚のいたすところ。「倫理的判断の基準を与える人間性は、個々の人間が人間相互の関わりの場とは無関係に、すでにそれを個別的な自己の存在においてそなえているといった人間性ではない。---。それは個別的な人間のうちにではなく、人間と人間との、個人と個人との、自己と他者との、「間」の領域に求められなければならないのである」(86頁)。
 というわけで、和辻倫理学は、人と人との間を、個と個の間ではなく、個と全(社会)という図式で把握していると。さらに、フォイエルバッハの我と汝やダーレンドルフの役割理論まで言及されていく。
 でも、手許に『倫理学』がないまま、無責任に思うのだが、和辻の間柄って世間の中のある種の立場に置かれることにあるから、その都度の関係(社会)の中に置かれているは当たり前ではなかろうか?もちろん、それが国民共同体に収斂するものなのかという問題はあるにしろ。それをおいておけば、レーヴィットやダーレンドルフの議論とどれくらい距離があることになるのだろうか?
 他方、宇都宮さんのように代置不可能な自他の応答可能性を据えること自体ににはあまり異論はないのだが(212頁)、このように議論を組むと、たとえば倫理的な責任は役割関係のなかでも生まれ時によってそれを越えていく、こうした二つの間の問題が出てこないだろうか。言いかえるとカントによりかかりすぎていないだろうか?まあ、もっとお勉強しないと偉そうなことは言えないと思いますが。