現代議会主義の精神史的地位

 「議会にとって本質的なことは、主張と反対主張との公開討議であり、公開の論争と公開の討論であり、審議することである」(50頁)。議会は立法府として、国家機能の一部として、行政ならびに司法と均衡する(モンテスキュー!)。しかし、議会主義ならびに政党政治の現実はこれとはかけ離れたものになっている。「人民代表が統治に関与すること、即ち、議院内閣制こそが、権力分立並びにそれと共に議会主義の古き理念を止揚するための、もっとも重要な手段であることが明かとなった」(66頁)。
 ところで、代表制は議会主義を経由しなければならないわけでもないし、たとば、現行の議会が主張と反対主張との公開討議からほど遠いものであることもいうまでもない。そして、代表は独裁によっても実現される。民意を代表する独裁者という表現は何も矛盾しない。「議会主義を止揚する独裁概念が再び現実となるのは、民主主義にそうたいしてではなくて、こういった議会主義的立憲主義に対してである」(73頁)。というわけで、シュミットはマルクス主義を合理的な独裁、直接的な暴力行使にかかわる無政府主義の非合理主義的な独裁(プルードン、ソレルら)を対置することになる。
 この話それほど他人事ではない。ところで、米国議会はどうするつもりなのであろう。しかし、世界経済に影響をおよぼす「財政の壁」とかいって報道しているけど、こんなのあらかじめ分かっていたのにこれまでまともに報道されてきた記憶もないし、FRBの金融政策の政策的含意がどのようなものかをまともに説明している記事も読んだ記憶がないよ。

現代議会主義の精神史的地位

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