戦国社会史論

 やっと読了。以下、メモ。
 戦国期における大名裁判権制度でも当事者主義の原則が貫徹しており、この「近所之義」の限界をこえたとき、当事者がこれを大名裁判権に委ねる。「在地領主層は、彼ら相互間に発生した相論を、大名裁判権に委ねる以前の段階で、在地において、みずからの力で解決すべき独自の秩序を形成したこと、それは大名方の「国法」の強制にも対抗しうる在地の論理であったことを確認することができる」(201頁)。「近所之義」として問題になったのはもっぱら人返し規定であり、「人返し規定が農民闘争弾圧の体制として、領主連合ないし国人一揆形成の景気をなして来た」(222頁)、それが国法秩序を形成するにいたり、領国にわたる農民支配の体制がつくりあげられる。
 「鎌倉幕府法では、一貫して堅持された「百姓」去留自由の原則が、室町期のの地主層を拘束する方として、基本的には継承されており、農民の主体的行動の建言する戦国期をつうじて、この「百姓」以下の農民逃亡が惹き起こす在地領主内部、領主相互間矛盾の深刻化とともに、「百姓」緊縛は在地領主層のいわば階級的課題になる」(258頁)。室町期、在地領主は幕府法(人返法)に依拠ししつつ相互連携を強めていくのだが、統一政権の成立まで、これを貫徹することができあかった。
 「大名法は「世間化」する条件をもち、悪銭に拠る在地領主層の農民支配を解体する方向に作動するが、しかし、大名の厳しい精銭原則もまた、---、農民層にとっては安易に受け入れがたいものであった」(281頁)
 「貫高制における銭納から米殻納への転換、支城単位の領国支配」(302頁)。それに伴う楽市政策は、「撰銭令の破綻、米柄納への転換に対応して」なされた政策である。米柄納体制の安定化をはかるためには、米柄の化価格の市場変動を押さえ込む必要があった。楽市・六齊市では貢祖負担者である農民層が流通過程へ関与し、「在地小領主との闘争を展開する過程で、大名権力と結びついていく」(306頁)。
 在地領主制が「百姓」の抵抗によって深刻化聞きに直面しており、領主制を安定させ軍役体制を構築するために、守護職により買地安堵制が導入され、さらには段銭体系の樹立を媒介として、分国規模の貫高の総体把握として実現された」(350頁)。

というわけで、農民内部にも百姓と下人の対立関係がある一方在地領主に対抗する必要があり、在地領主も内部で対立する契機を抱えながら農民の共同して対抗する必要がある。大名は、農民支配のためには在地領主が邪魔であるが、軍役を考えると衰退に任せるわけにもいかないし、農民も在地領主に対抗するためには大名に頼る必要があるが、他方で独立志向がある。というわけで、三者それぞれ矛盾した利害関係を抱えながら、統一政権の成立を迎えるにいたるというのが大筋ということでよいのかな。
 

戦国大名の権力構造

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豊臣平和令と戦国社会

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