Der Computer als Medium und Maschine

 話の落としどころはここだと思うのだが、こんなに単純に言い切っちゃっていいのかな。ま、まだ十分に内容を把握できてないところもあるから、違うこと言ってる部分を読み落としてるかもしれないが。

いいかえれば、コンピューターに媒介されたコミュニケーションはダブル・コンティンジェンシーという問題を残しているーそれも、ダブル・コンティンジェンシーと結びつく選択に支えられることなしにである。われわれは、機械から得られた情報は誰かが伝達したものあり、機械それ自身から生じてきたものでもなければ、機械が産出したものでもないということを知っている。つまり、情報は、コミュニケーションというフィクションの世界にかかわり、たとえば、知覚とかかわっていてはならないということを知っている。しかし、この「誰か」かはいつも未規定なのである。---。情報は伝達と区別されるが、このことは伝達者とのかかわりとは関連しないのだ、と言ってよい(351頁)