リーダーバッハ『ハイデガーと和辻哲郎』

 とりあえず3章だけ。この章だけ読むと、わざわざハイデガーと比較しなくてもいいのではとも思ってしまうのだが、

ハイデガーにとっては、実存(エグジステンツ)は純粋に現存在の時間性から、すなわち現存在が〈おのれ自身に先んじていること〉から規定されるが、和辻にとっては、〈存在(エグジステンツ)〉は間柄のうちでしか遂行されえないものなのである(139頁)

この指摘は鋭い。

和辻の間柄の弁証法的な捉え方は純粋に構造的な意味をもつはずである。けれども、人間の空間性と時間性の究明においては、あたかも間柄が構造的・存在論的なレベルから具体的・存在者的なレベルへと引きずり下ろされているかのように見える。そのつど「規定された」過去と未来の間柄が急に問題となり、この間柄が現在の行為を導いているとされるのである。見のがすことができないのは、もともと構造的・存在論的に考えられていた間柄の概念が事実的・具体的な社会の意味を帯びるようになったということである(167-168頁)。

そういえばギデンズはどうなってたろう?一段落ついたらの宿題。

ハイデガーと和辻哲郎

ハイデガーと和辻哲郎