松江哲明『セキ☆ララ』

http://seki-lala.com/
 松江哲明作品を二つ見て、この人他にどんな作品を撮ってるんだろうと気になったので、世間的には評価の高いらしい『セキ☆ララ』も見に行ってみることにした*1。思うに、これが一番いいんじゃないかな?
 前のところでも書いたけど、AVってたとえそれがフィクションであったとしても肝心のところではそれがドキュメンタリーであることを期待されているところがある。しかも、これは見る側だけの問題ではない。そんな期待ができるのは、演ずる側にとってもセックスが演技でありながらも、演技であることを超えていくようなところがあるからだ。それは先日見た『前略、大沢遙様』を見て感じたことでもあった。しかも、性はしばしばわれわれのアイデンティティと深い結びつきをもつ。『セキ☆ララ』はこの点をより自覚的、方法的に掘り下げていった作品だといっていい。
 『セキ☆ララ』も二人のAV女優を追いかけていくという点では同じ。だが、一人目は在日韓国人であり、もう一人は中国人だ。在日の相川ひろみは、周囲に他の在日の家族はなかったけど自分が人(日本人)とは違うということは幼い頃からなんとかく感じていたし、祭祀も大好きだけれど(クリスマスは彼氏とのデートよりもおじいちゃんの祭祀を選びたいそうな)、「どこへ行ってみたい?」と聞かれれば、行ったことのない朝鮮半島よりは、生まれ育った京都や尾道に行ってみたい。というわけで、京都、鶴橋、尾道を回るちょっとしたロード・ムーヴィーが始まり、その合間に二度のからみの場面がある。そのなかで彼女は次第にうち解けた姿を見せ、なかでも尾道の細い路地を歩いていくときに、その記憶がどれだけ自分に深く結びついているかを垣間見せる。そして、この束の間に生まれた関係をなんと「家族」と形容する(まあどこまで本気ってのはあるだろうけど)*2
 もう一人の杏奈は中国人、やはり面接して話を聞いた後、横浜の中華街で服を買い、食事をしてそれからホテルへ行く。ことがすんでやはり彼女にもアイデンティティをめぐる問いをぶつけるのだが、そこでも話は家族のことへ向かう。そんな感じで彼女も撮影のなかで違った姿を見せるようになるのだが、より興味を惹かれるのはその相手の方だ。松江は彼女の相手にやはり在日の花岡じったというAV男優を選ぶ、そして、彼女以上に花岡から話を聞き出すことをねらっている(なお、松江自身も在日だとのこと)。
 この花岡という人物は面白い人で、在日のうさんくさい感じが嫌いなのだという。ハングルもしゃべれないのに、アボジ、オモニと言わせたりとか、そういうところが。で、富士山をきれいだと思うのは日本人だ、日本が好きだ、とかという。なのに、国籍は北朝鮮籍から韓国籍に変えても、帰化申請はしていないみたいだ(でも、それにはふれない)。そんな花岡と杏奈を二度目のからみの撮影のためにつれていくのは、驚いたことに花岡の実家。花岡は親と同居しており、階下に父親が寝ているなか、二階でロケを敢行する。この二度目のからみのあとの花岡の変化がスゴイ。それまでのつっぱった感じが、ぐっとやわらかくなってしまうのだ。そんな様子をカメラがとらえる。すると、花岡が語り出すのが、自分の在日ぎらいは父親との葛藤とかかわっているかもしれないということだ。
 松江はこんな感じでAV的な手法を用いることで、被写体にアイデンティティにかかわる問いをぶつけ、民族にかかわる問いがその根っこのところで家族の話とからみあっているところを暴いてしまう。こんなやり方があるなんて思いもしなかった。ところで『前略、大沢遙様』はドキュメンタリーとはいえAVなわけだが、『セキ☆ララ』はどっちになるんだろう?

*1:インタビューはここに。http://intro.ne.jp/contents/2006/05/31_1606.html

*2:関係あるのかないのかわからないが、ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギー・ナイツ』はアメリカの伝説的なAV男優を題材にした作品らしいのだが、そこで描き出される業界関係者たちの家族的な雰囲気が印象的だった