仕事に生き甲斐なんて求めず、ちょぼちょぼに生きる

 会議のあいまにはずんずん軽めの本を読むのがよいというわけで、お仕事上必要にせまられたこともあって、まず、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を読了。この本、タイトルがあれなのでずっと読んでなかったのだが、思ったよりもまともな印象を受けた。それに、このタイトルと中身のミスマッチはいいかもしれない。説教モードのオヤジが手に取って読んでみたら、実は自分が攻撃対象だったりするわけだ。議論の本筋は、年功序列を維持するにせよ、成果主義を導入するにせよ、それは上の世代に残っている既存の年功序列秩序を維持するために導入されたにすぎないのであって、そのせいでバブル世代以降が割を食っていると。でも、話の落としどころが「「働く理由」を取り戻す」ときてがっくり。みんながみんな、そんなにいい仕事に就けるわけないんだけどなー*1

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

 で、次に手にした下の本はその解毒剤としてはよかったかもしれない。ボクは同じ著者のその下の本の方をおしたいが。仕事と趣味が一致することはあたかもいいことのように語られることが多いけど(そんなことないよ)、収入の低い不安定な仕事に就いてワーカホリックになることがいかにリスキーかを、前者はバイク便、後者はケアワークから解きあかす。

不安定な仕事で自己実現をし、ワーカホリックとなることは非常に危険である。だから、やりたい仕事があっても、それが未来のない仕事であるならば、没入してはいけません(p19)。

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

 でも、どうしてこうした流れに棹さすことになってしまったんだろうと考えるとき、この話なんかはとっても皮肉な感じがする。それは、「新しい社会運動」って何だったんだということでもある。

生活クラブ系の生協は、「共助」の理念のもとに、介護保険施行以前の早い時期から事業のなかに福祉関連事業を取り入れてきた。「共助」の理念とは、いわゆる「アソシエーション」に仮託された理念であり、そこで目指されるのは、旧来の官僚制的なシステムのなかでは満たされなかったニーズのの充足と新しい働き方であった。/そして、その理念を担ったのは、組合員の女性、すなわち主婦層であった(p69-70)。そのため、ケア労働でのみ生計を立てていかなくてはならない若年層のワーカーが職場に流入してきたことは、想定外の出来事であった(p72)。

 そうすると、こう主張することにも一理あるだろう。

産業社会の「負け組」と呼ばれる者たちが「仕事」でしか自己実現をはかれないとしたら、その社会はいつか破綻する。彼らの自己実現の場所をつぶさないでおくことこそが社会設計をする人びとに求められている(p131)。

*1:この本と同種の議論とみてよいでしょう。

仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 (中公文庫)

仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 (中公文庫)