大嶽秀夫『新左翼の遺産』

 これもやっと読了。『日本型ポピュリズム』みたいな本を書いている著者が、こんな本を出すというのは正直のところ意外だったのだが、考えてみればそういう世代だし、論点としてもつながりますね。
 内容はといえば、「新左翼は、一面では、一九世紀から二〇世紀前半までのいわゆる(旧)左翼運動の伝統に致命的な打撃を与え、長期的には一九七〇年代以降のネオ・リベラリズムによる保守勢力の復権に貢献するという皮肉な役割を演ずることになった」(p25)。だが、他方で、ポストモダン思想を産み落とし、「新しい社会運動」さらには「新・新社会運動」の登場と発展に寄与したという筋立て。
 ボクにはわりと腑に落ちる組み立てだし、他の書物同様きれいに論点が整理されているので、すらすらと面白く読めた。とくに興味を惹いたのは市民運動新左翼運動のかかわりについて論じた部分。それは、「市民運動新左翼運動との誤解を含んだ共闘」として説明される。

市民運動は、日常生活の延長上に気楽に参加できるし、いつでも辞めることができるところに特徴がある(p105)。
市民運動は代議制が機能不全に陥ったときの抵抗運動であって、非日常的なものである(p108)。この点からいって、市民運動が「祝祭」の要素を持つことはごく自然なことである(p109)。
・ただことで忘れてはならないのは、市民運動の一つのリソースは、マルクス主義とは一線を画しながらも左翼陣営を支持する「近代主義知識人(のち「進歩的知識人」とも呼ばれる)の知的、政治的権威、そのサポートであった(p103)。
・(清水らを例外として)近代主義知識人は、反共主義が利敵行為であるとの認識・「反反共主義」を抱き続けていたのである(p82)*1


・ブントができたことは、保守化し、日常世界に満足し始めた労働者に対して、革命のロマンを維持させ、祝祭としての革命を一時的に開花させることでしかなかった(p97)。

 で、そのブントの遺産は以下の4つにまとめられることになる。

1,反権威主義 2,享楽性 3,日本資本主義の復活 4,労働者市場主義の否定

 前々から60年安保でこの二つはどう関わるのかと思っていたので、これはわかりやすい説明だった。でも、そうなると、市民運動新左翼運動がそれぞれどのように「新しい社会運動」に収斂していくのか(あるいはいかないのか)を次に検討する必要がでてくるな。
 また、ブントにフェミニズムの欠如を指摘するなど、運動のなかで女性の占める位置についてもかなり気にしている模様なのだが、これはその後のリブなんかとどうつなげるのだろう。
 他方で、いささか物足りなさも残った。一つには、もっと立ち入った議論も読みたかったということがある。ブントだけ取り上げても構改派はとりあげないとか、清水幾太郎谷川雁をとりあげても、吉本隆明をとりあげないとか*2。この辺りを著者はどう評価しているのだろうか?
 また、前期新左翼だけを取り上げているので、仏英との国際比較で無理やり話を終わらせた感じがしないでもない。まあ、これはこの続編に期待しますということですね。

新左翼の遺産―ニューレフトからポストモダンへ

新左翼の遺産―ニューレフトからポストモダンへ

 もっと本格的な評を期待する方はここで。
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/ootake.htm
 著者の関連する文書をネット上で読みたいならここで
http://lp21coe.law.kyoto-u.ac.jp/occasional/pdf_occa/01_otake.pdf
http://lp21coe.law.kyoto-u.ac.jp/occasional/pdf_occa/02_otake.pdf

*1:そういえば、フランスでも知識人は共産党となかなか切れなかったなと思ったら、後でちゃんとその話もでてきた

*2:でも、「連帯を求めて孤立をおそれず」が谷川雁の言葉だとは知らなんだ。