国民投票法が成立して、ふと思ったのだが、

 われわれは「戦争の記憶」というと、ひとつは戦場(やそれにかかわること)の記憶、もう一つは空襲や原爆(あるいはそれについてまわる疎開など)の記憶を主として思い浮かべる。だが、考えてみれば、国内で戦場になったのは沖縄であり、空襲の被害を受けたのは都市部である。つまり、そこには農村が抜けている。ほとんど空襲の被害にあっておらず、あまり食糧に心配をしなくてすんだ地域だって、おそらくはあったはずで、そのなかには都市部から買い出しにきた人たちにあこぎなマネをした人たちだって少なからずいたに違いない。そんな感じでステレオタイプ化した戦争の記憶とは無縁なまま戦争をすごした人たちというのはどれくらいいたのだろう?「戦争の記憶」の風化がしばしば叫ばれる昨今だが、その前に、その「戦争の記憶」の内実を問い返してみる作業はどれほどなされているのか?戦争の悲惨さを、わたしも祖母や両親から随分と聞かされたが、それはどれほどの広がりを持つものだったのだろう?言ってみれば「空襲を受けたことのない村の戦争の記憶」をたどる試みというのがあってよいはずで、また、そうした試みはどれくらいなされているのだろうか?ふとそれが気になり始めた。